さっさと他の国に行けって?
行けるものなら、とっくにそうするよ。
いっそ、たどり着かなければよかった。
――これ以上、この国に、絶望させられませんように。
今日もきっと、誰かが必死に耐えている。
こんな日本で、私たちはいいの?
知らないふりは、もうできない。

温又柔小説家

これはあなたと僕の、我が身かわいさの問題だ。
国際的な「難民条約」に立って日本を非難するのは思考停止だ。それは「ルールだから」とクルド人たちの就労を認めない入管職員と変わらない。彼らは個人的な恨みで突き放しているのか?この国を、このルールを作っているのは僕たち“国民”だ。そして「他の国に行ってよ、他の国」という嘲笑は他でもなく、あなたと僕から漏れ出た嘲笑なのだ。

上出遼平テレビ東京『ハイパーハードボイルドグルメリポート』プロデューサー

映画を見終わると、あなたの瞳の中に二人の青年が棲みはじめるだろう。暗闇の中で「将来」という言葉を虚しく噛み締めるしかないその顔、叫ぶこともできないその声にあなたの人生の小さな場所を与える。それが始まりだ。まだ映画は終わらない。絶望の淵を彷徨う彼らの未来はまだ閉じられてはいない。映画の結末を作るのは私たちなのである。

諏訪敦彦映画監督

八方塞がりの絶望的な状況においても、僅かな希望に向かって懸命に日々を過ごしている2人のクルド人青年。

そんな2人に向けて、入管職員が放った言葉が耳から離れない。

「帰ればいいんだよ。他の国行ってよ他の国」

この言葉が象徴するのは、入管の「排除の体質」だ。入管が排除の対象にしている「人」がどのような存在なのか。この作品を通じて多くの人に見て、知ってもらいたい。

せやろがいおじさん(えもやん)お笑い芸人・YouTuber

「仮放免許可書」——入管によるたった一片の紙切れが、若者の日常生活のあらゆる側面を規定し、彼らの抱く夢、淡い期待をも蝕んでいく。彼らを追い詰めることで、この国は、そして「私たち」は、何を守ろうとしているのか。

髙谷幸東京大学教員

差別と無理解、入管行政の厚い壁…。戸惑いと絶望の中でもなお、生きる希望とクルドの誇りを捨てない若い二人。オザンとラマザン。その問いかけは私たちに突きつけられた刃のようだ。

鴇沢哲雄フリーライター/「日本で生きるクルド人」

18歳と19歳。対称的な二人の、けれど等しく理不尽な現在に心を掻き乱される。摘み取ろうとしても、踏み潰そうとしても、明日に向かって伸びていく生のエネルギーは壊せない。彼らの未来を奪おうとする日本という国の試みは、ただひたすら残酷なだけで、そもそもの始めから失敗しているように見える。彼らに在留資格を。日本で生きていく未来を。もし、それができないのなら、滅びるのは彼らではなく、この日本だ。

中島京子小説家

ラマザンとオザン。ふたりのクルド人の若者は、前に進んだかと思えばすぐに壁にぶつかる。彼らを立ち止まらせるのはこの国の矛盾だ。映画を見て動くべきは自分たちだと思った。

西森路代ライター

今ここで自由を求めて格闘する2人の姿から見えてくる、この社会の不正義とこの世界の不条理。その壮絶に重ねる傲慢を恥じつつも共振してしまったのは、在留資格はあっても国のない私にも身に覚えのある理不尽さと青春の痛みがそこにあったから。
彼らも、そして大人になった私も、今ここを生きている。
今ここに生きるすべての人が見るべき、痛切な青春映画。

ハン・トンヒョン日本映画大学教員

人間は生まれれば生きる。その権利に国籍や民族は関係ない。しかし、入管は生きることを許さない。いつから入管は、人から生きる権利を取り上げるような異常な組織になったのだろう。その暴力の感触を、この映画から感じ取ってほしい。この暴力を止められるのは、私たちの関心なのだから。

星野智幸小説家

目の前にはレインボーブリッジ。現場は港区。東京のど真ん中で起きている非人道行為に私はなぜそれまで気がつかなかったか。薄々は知っていた。それでも目を逸らしてきた。詳しく知ろうともしなかった。分断はそうした無知、無関心、見て見ぬ振りが引き起こす。そろそろ自覚したほうがいい。この映画を見て、この事実を知って、それでも動くことができなければ、私は加害者の一人になるのだ。私は選択を迫られている。

堀潤ジャーナリスト/映画監督

まだ若いオザンに入管職員は「他国へ行ってよ。帰ってよ」と平然と刃を突きつける。これが彼らの日常であり、入管対応の現実であることに怒りと絶望しかない。現在を生きる全ての日本人が観るべきドキュメンタリーだ。

望月衣塑子「東京新聞」記者

入管が作り出す境界線は、一人ひとりの言葉と振る舞い、差別と遵法意識をつたって社会の隅々まで浸透し、かれらの未来に何度も何度もふたをする。在留資格を持たずに育った二人の青年。その心を折り続けてきたのは一体誰なのか。この映画を見れば、目を背けなければ、きっとわかるはずだ。

望月優大ライター

帰ればいいんだよ。他の国行ってよ。入管職員が彼らに浴びせる言葉を聞きながら、僕はこの国に生まれたことが本当に恥ずかしい。苦しい。腹立たしい。観終えて思う。日本国民の半分が、いや10分の1が、いや100分の1でもいい、とにかくこの映画を観てオザンとラマザンの夢と希望を打ち砕く冷酷さを目撃したのなら、きっと気づくはずだ。入管職員は日本国籍を持つ自分たち自身でもあるのだと。

森達也映画監督・作家

名古屋の入管施設で亡くなったスリランカ人女性・ウィシュマさんの顔と名前を憶えている人は多いだろう。ならば、この映画に現れるクルド人のオザンとラマザン、そしてメメットの顔と名前も憶えておいてほしい。彼らが日本でどんな扱いを受けてきたのか、彼らがこれから日本でどう生きていけるか。入管の中も外も、日本社会とつながっている。

綿井健陽ジャーナリスト・映画監督